<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-4-4 苦諦
我々(の心身)が存在する限り、(+人は)常に、苦を受けねばならない。
これがすなわち、苦諦である。
そして、苦諦は、対処法がない。(苦々と行苦だけが、対処できる。)
心身は、いついかなる時も、どこにあっても、苦を受けているものである。
苦諦には、二種類の基本的形式がある:
1)煩悩の故に苦がある。これは、心苦と呼ばれる。
2)肉体があるために苦がある。これは、身苦と呼ばれる。
一番目の苦は、今生、この地において、vipassana を修する事によって阿羅漢果を証悟した時、苦を断じ除く事ができる。
二番目の苦、それは肉体の苦であり、今生では避ける事ができない苦である。
たとえ阿羅漢であっても、生きている間は、肉体的な苦は、擁している。
というのも、肉体は「果」ーー受胎して、生まれて来るならば、心身(集によって成るもの)があり、それ故に、苦を受けるのは、必然的な結果なのである。
心身は、輪廻による出生が齎した結果であり、無明、貪愛を因とする。
無明と貪愛を断じ除いた時(涅槃に円満到達する事)にのみ、再び生まれる事がなく、その時、初めて、五蘊身を避ける事ができる。
(1-38につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>