Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-118

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(六)受捨は、不苦不楽受であり、これは以下のように形容する事ができる:

「捨具欲界善心が生起した時。」(《法聚論》)

(七)観捨は、観智によって諸行の相を観照した後、観照した所の諸行の相に対して、中捨を保つ。これは以下のように形容する事ができる:

「彼は、存在するもの、既に生まれたものを捨離したが故に、捨を得た。」(《中部》)

当該の経文の意味は:

観智による知見は、各自の因と縁によって生起する五蘊の相による。

すなわち、当該の観智が諸蘊への執着を捨離する。というのも、それは、無常・苦・無我なる諸蘊の禍を知見したが故に。また、邪想、常想など等も捨離する。

(八)中捨性捨は、具生法の効力と同等である:それは、欲(chanda)の始まりである「或任何法」(yevāpanakas)の内に含まれる。

それは、美心の中の具生法のバランスを保持する責任を持つ心所である。

アビダンマによると、中捨性捨とは、美心一つひとつに存在しており、美心にバランスと調和を齎し、心をして、軟弱になったり、動揺する事がないようにする。

一つひとつの、個別の心所としては、中捨性捨は、異なる状況の下において、異なる方式をもって顕現する。

(5-119につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>