wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

「身念処」1-49

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

この真理とはすなわち、心身は、無常・苦・無我であることを知ることであり、そして、心身の三法印を照見する智慧は、実相般若と呼ばれるが、実相般若は煩悩を断じ除くことができる。

Vipassana慧地は、理論であると同時に、非常に深くて広い実相である。

修行者は、慧地を、己自身が完全に理解しえるまで、必ず、研究しなければならない。

このようにすれば、彼は修行する時、どのように心身を観照するのかを知ることができる。

たとえば、彼は、根界の所縁(図2-1)または四種類の姿勢について、知る必要がある。

もし、彼は理論を知らず、どのように心身を照見するのかを知らない時、彼は正確な vipassana  ができない。理論は、修行が成功するかどうかの助縁である。というのも、理論の実修と結果は、相互に因となり縁となっており、単独では運用できないからである。

Vipassanaは、すべての存在する生命はみな、三種類の特徴:すなわち、無常・苦・無我の自然的法則(これを有情の三つの指標とも言う)を具足している事を体験・証悟しようとするものである。

もし、この自然現象を理解しないのであれば、それは無明ーー自然法則に対する無知ーーと言われる。この種の、自然法則に対して無知な人間は、生死の内に輪廻して、苦を滅することができない。

経典において、無明の定義は、四聖諦を体験・証悟していない事、としている。

自然法則を理解しない人は、四聖諦を体験・証悟する事はできないが、それはすなわち、無明である事を意味する。

(1-50につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>