<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
<今・ここ>には二種類ある:
<今・ここの思慧>と、<今・ここの修慧>である。
<今・ここの思慧>は、一般的な修行が良好な状況であって、<今・ここの思慧>を先導者として初めて、<今・ここの修慧(実相般若)>を引発することができる。
これはちょうど、二本の枯れ枝を使って、お互いにこすり合わせて、火を起しているようなものである。
もし、修行において、正しく<今・ここ>を保持できるならば、五蘊の貪と瞋恚(好悪の感情)を取り除く事が出来、その後において、実相般若が生じることになる。
<今・ここの修慧>は、非常に掴み難いものである。それはちょうど、泥沼の中で、どじょうを捉まえようとしているようだ。
<今・ここの修慧>は、まさに座っているのは、座っている色身であって、「あなた」ではなくーー三心である、ということを体験・証悟するものであるが、実際は座っている色身さえもなく、ただ実相があるだけなのである。
(1-55につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>