<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
出世間法の範囲においては、涅槃が所縁となる。道心(道識)と果心(結果)は、涅槃をもって所縁となしており、煩悩を断じ除く事ができるのは、道心である。
世間の範囲における正念正知は、実相般若であり;
出世間の範囲における正念正知は、道心になる。(道心は、字面上は、「道識」の意味であるが、実際的に、内容的には、道果または道智の意味を示しているーー道心は、第14階智である。)
涅槃は出世間法であり、五蘊の範囲には属さない。
二種類のpaccupan(paccupanとは、「現在」の意味である)がある。
1)現在法(Paccuoanadhamma)。
身・心の生・滅は、非常に迅速であるが、しかし、煩悩に覆われているために、我々は(身・心の生・滅を)見る事ができず、ただ座っている色身、立っている色身など等が、見えるだけである。
我々は「私が座っている」「私が立っている」「私は非常に暑い」など等と妄執する。
我々が察知するかどうかはともかく、現在法は常に存在していて、故に現在法(+と言うの)であるーー(以下12文字、意味不明)。
2)<今・ここ>(Paccupanarom)。
身・心の顕現、また、我々の貪欲と相応しない、特定のある時間ーー「座っている色身」「立っている色身」など等、我々は、現在法を使って修行する時、(+修行の内容は)<今・ここ>に発展する。
三心が一つに組み合さると、「私は座っている」の妄執から、「座っている所の色身」に変るーーこれが<今・ここ>である。
(1-58につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>