Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

「身念処」1-58(50/203)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

<今・ここ>を保持する為には、正念正知でもって身・心を観照しなければならない;

心に煩悩が無い時にのみ、(図1-3)にある所の、前三個(=色法、心所、心王)の所縁を、見ることができる。

身・心を所縁とする修行を、第12階智(随順智)に至るまで、不断に、続けなければならないが、その後においては、この所縁を捨棄し、これ以降は、涅槃が道心と果心の所縁となる(+ような修行を続ける)。

このようにして初めて、聖者または、出世間の階位を得る事が出来る。

<今・ここ>とは、身体または心を照見しているのであって、その所縁は、善である事も、悪である事も、または無記である事もあり得るーーしかし、それは四念処の所縁の内の一つでなければならない。

心に煩悩があるが故に、vipassana(注1) の修行をしなければならない訳であるが、また、煩悩のある所には、必ず、vipassana を運用するか、修習するかして、それを破り、除かねばならない。

例えば、耳が音を聞いて、煩悩が「私が聞いている」と認める時、vipassana があれば、我々は「心が聞いてる」という事に覚醒する事ができ、その時、煩悩は消滅する。

(注1:阿羅漢はすでに煩悩がないので、vipassana の修行をする必要がない。)

(1-59につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>