Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

是誰庵のひとやすみ~身一つで

私たちは、仏法を学び、実践するのに、何が必要でしょうか?

タイや緬甸(ミャンマー)の僧侶の像などを見ると、ゴータマ仏陀が着用されたのとほぼ同じと思われる黄衣を着て、肩から托鉢用の鉢を掛け、手には傘を持っています。

傘は、野宿する時に、広げて木の枝にぶら下げ、簡単な屋根のようにして使います(傘の周囲に、蚊帳を垂らすこともできます)。

彼らは身一つで、立っています。

彼らが、アビダンマの本を脇に抱えている像など、寡聞にしてみた事がありません。

本の中に書いていあるダンマは、死んだ知識です。一応参考にはなりますが、あなたの心の煩悩と、直接関係はありません。

私の吝嗇、私の強欲、私の恐怖を、パーリ語で置き換えてみても、私の中の吝嗇も強欲も恐怖も、無くなりはしません。

それよりも、変容する事です。

吝嗇な者は吝嗇でない者に、強欲な者は強欲でない者に、恐怖する者は恐怖しない者に、なればよいのです。

我々は、仏法の理論を学び、理論に納得してから、変容する訳ではありません。

変容は<今・ここ>において、刹那に生起します。

己の変容を受け止めてくれる己自身がいれば、それで十分です。

自分の外(そと)に、教師はいりません。

        <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>