Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

「身念処」1-77

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

もし修行が、智慧(内観)でもって苦を体験・証悟するのではないのならば、それは正しい修法ではないし、中道法(すなわち、八聖道)ではない。

唯一、苦を体験・証悟した時にのみ、あなたは輪廻を離脱できる――というのも、苦を体験・証悟して初めて、あなた五蘊を厭離し、苦の滅に至る事ができるが故に。

もし、厭離随観智(第八階智)を証得していないのであれば、汚染から離れる事(無執着:離欲、離貪)を証得する事はできないし、その為に、苦を滅する事もできない。

智慧でもって身・心の無常・苦・無我を体験・証悟した時、身・心に対して厭離(+の気持ち)が生じるが、これこそが清浄の道なのである。

故に、新しい姿勢の苦を察知する為に、修行者は「如理作意」を保持しなければならない。

彼はまた必ず、姿勢を変える時の理由を知らなければならない。

如理作意で姿勢を変えたならば、どのような利益があるか(実相般若を引発する事ができる)、姿勢を変える時、如理作意にないならば、どのような禍があるか(煩悩と相応してしまう)(+事をよく知らなければならない)。

通常、初心者は、姿勢を変えたい(+と思うその)理由を知らないでいる。というのも、彼は、自分が姿勢を変えたいと思ったのだ、と考えるからである。

実際は、苦が彼をして、姿勢を変えさせたのである。

正しい理由を知り、それを何度も反復して練習する事は、苦を体験・証悟する事が出来るし、また、新しい姿勢も、前の姿勢より良いなどということはない事が知れる。

そのことによって彼は、新しい姿勢を喜ぶ事もないし、以前の姿勢に嫌悪する事もなくなる。

このような修行は、智慧をして、身・心はコントロールできないものだという事を知らしめ、無我であり、非男、非女である事ーーすなわち、これが実相であるという事:

自然なる真実である事が、分かるようになるのである。

(1-78につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>