「身念処」の<1-78>を翻訳していましたら「現在法」という言葉に、出くわしました。
私がいままで、喉まで出かかっていて、どう言えばよいのか、よく分からなかった言葉です。
そうそう、これこれ「現在法」。
私達は、ゴータマ仏陀の教えを学ぶと、目が点になると言いますか、目から鱗といいますか、今まで常識だと思っていた事が、ひっくり返ってしまいます。
色聚(原子より小さい物質で、vipassanaをすると見えて
くる)で出来ている己の体は、刹那に生・滅していて、
実は自分なんていないんだよ。
う~~ん、素晴らしい、ゴータマ仏陀!
で、今日から「自分はいない」「自分はいない」と、己に呪文を掛けながら生活する。
しかし、悲しいかな、今なお凡夫である私、実は「自分はいない」なんて、これぽっちも実感できていない(笑)。
生兵法は怪我の元。
凡夫が背伸びをして、聖者のまねをすると、火傷します。
凡夫は、自分の実感ーー現在法から、ゴータマ仏陀の教えた出世間法へと、修行を通して、意識を移行させていくべきですが、理論だけ覚えて、頭でっかちになって、背伸びをすると、大怪我をします。
我々は、<現在法>をスプリング・ボードにして、出世間するのですから、日々、ボードの点検は必要不可欠です(そして、出世間法というのは、あなたの想像を超えていますから、頭で想像しても、無駄なのです。)
自然法爾・・・現象世界は、決して逃げたり、無くなったりしません。
世界は、あなたの悟る日を待っていますから、まずは<現在法>の中で、誠実に生き、己をよく見つめ、焦らない事が大切です。