<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-12-1 如何にして12縁起でもって邪見を破るのか?
12縁起の真相を理解したならば、智慧の力でもって、顛倒妄想を打ち破る事ができる。
1、無明:
<無明の縁によって行あり>を理解する事によって、(+己より)更に高度なレベルの力があるとか、それが万物を創造する、等の邪見に妄執する事を破り除く事ができる。
2、行:
<行の縁によりて、識あり>を理解する事によって、自我の邪見を破り除く事ができる。
というのも、「あなた」は生まれて来たのではなくて、結生識に過ぎないが故に。
3、名色:
<結生識によりて名色あり>を理解する事によって、名色が堅実であり、かつ永恒であるという邪見を変える事ができる。
4、六入:
<名色の縁によりて六入(眼、耳、鼻等)>を理解すれば、私が聞いている、私が見ている、という邪見を変える事ができる。
5、触:
<六入の縁によりて触あり>
触とは、根、塵、識が和合して生じる所の(識分別)であり、(+これを理解すれば)根、塵、識を我とみなす邪見を、変える事ができる。
6、受:
<触の縁によりて受あり>
受とは楽受等の事ーーこれを知れば、「私が」楽しい、「私が」苦しい、という邪見を変える事ができる。
7、愛:
<受の縁によりて愛あり(愛を心所法で表すと、貪心所になる)>
これを理解すれば、如何なる「有」(生命の形式)に生まれようとも楽しいのだ、という邪見を破り除く事ができる。
8、取:
<愛の縁によりて取がある(取は、貪心所と見心によって構成されている)>を理解したならば、ある種の物事は、魅力があるとか、美しいとか、耳に心地よい、など等の妄執を変える事ができる。
9、有:
<取の縁によりて有がある>
これを理解すれば、人の死後、断滅するという邪見(実際は、<取の縁によりて、有あり>であり、有とは思ー心所ー心王である。
思心所は、結果を生じせしめる意志または行動を推進する力であるーーすなわち、再びの出生、または有、の事)。
10、
<生>:(注1)有の縁によりて生があるため、これを理解すれば、五蘊を楽と見做す妄執を破り除く事ができる。
11、老・死:
<生の縁によりて老死あり>。
五蘊が常、楽、我、浄であるという邪見の妄執を変えることができる。
(注1)合計四の生がある:
1)胎生、2)卵生、3)湿生、4)化生。
(8-16につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>