Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」2-10

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

三帰依の解釈)

仏陀の解説)

今ここにおいて、言われている所の:

仏陀に関する解説、帰依の行い、及び行(帰依)者」(の解説を以下の通り行う:)ーーこの中において、すでに体験・証悟した所の、すでに一切の諸法に関する無障礙の智相を遍修し、(五)蘊相続による施設された(各種の有情)への執取を無上解脱した所の、または一切知智の足処[近因]

(注15)が施設する所の、各種の有情を執取して区別した所の有情を「仏陀(Buddha)」(注16)と見做す。

如説:「『仏陀』ーー彼の世尊は、自ら成り、無師であり、前に聞いたことのない法において、己自身で自ら諸諦を悟り、かつこれによって一切知智を獲得し、また、諸力において自在を得た(注17)

(注15)現観諸諦(saccābhisamayam)、緬甸版は「現自覚諸諦(saccābhisambodhim)」。

(注16) この部分を比較的分かり易い言葉で述べると、以下のようになる:究極的な義理・文章上の道筋では、人または有情はただ、色、受、想行、識の五蘊の相続にしか過ぎない。ただ、通俗的には、我々は、概念上に施設(=設定)して、人とか有情とかと言っているのである。

仏陀という概念における人とは、彼はすでに修行を終え、一切の諸法に対して何等の障礙もない、比べる人のない解脱の智慧を体験・証悟している。または仏陀というこの概念上の人は、すでに証悟しており、四聖諦を了解している(+と言う)。また、仏陀というこの概念上の人とは、一切知智(一切法を知ることのできる智慧、これは仏陀のみ、特有のものである)を体験・証悟している根本的[直接的]原因。

(注17)Mind.p.143.Ps.i.p174。

(2-11につづく)

     <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「南伝仏教在家居士須知」改題「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律

ハンドブック」中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>