<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
もし、一人の施主が、いくらかの資金でもって、一人の南伝の戒を受ける出家者に ”四種類の資具として” 供養をしたいと思った時、またはその他の如法な必需品と同価値なものを供養したと思った時、出家者が戒を犯すのを防ぐ為に、最もよい方法は、施主が当該の出家者の浄人(注1)が誰であるかを、知っている事である。
その時、施主は、その資金を、責任を負える所の浄人に直接渡し、その後に、施主自身か、または浄人によって、当該の出家者に妥当で如法な招請・招待をする。もし、施主が浄人が誰であるかを知らない時、施主は、誰か浄人になってくれそうな人に話をしておき、出家者に対して、施主は、以下のように述べればよい。
●”尊者/Bhante、あなたの為に奉仕する浄人は、誰ですか?”
●”尊者/Bhante、私はあなたに如法の必需品を供養したい。あなたの浄人は誰ですか?”
●”尊者/Bhante、事を執する人はいますか?”
●”尊者/Bhante、施主があなたに如法の必需品、価値がXX円を供養したいと思っています。あなたの浄人は誰ですか?
出家者の為に如法に必需品を処理できる浄人の存在を確実に確かめた後、施主は、当該の資金を浄人に渡すか、または浄人から出家者に供養・要請・招待の内容を伝えて貰う。
注意しなければならないのは、要請する人は、最低でも、一人は必要である事。
そうでなければ、施主自ら要請するにしても、浄人から出家者に対して要請するにしても、出家者は必需品の供養を要求する事ができない。
施主または浄人の要請は、口頭でもよく、書面でもよく、要請カードでもよく、供養カードを使ってもよい。
■出家者は必需品の価値がどれくらいであるかを知っていなければならない。このようであれば、出家者は必需品を要求する時、施主の供養した数量(+金額)より多く要求する事がない。
■施主は、一人の出家者に対して、終生供養の招待をする事ができるが、しかし、それ以降に、因・縁の変化によって、出家者が、施主は、すでに経済的問題に陥っているとか、または信心が動揺していると知った時、たとえ施主が、出家者にそのような説明をしなくても、この供養・招待は、自動的に解消される。
もし、(+困難な状況の中においても)施主に、出家者に対して、いまだ十分な信心がある時、最も理想的なのは、彼は期間を決めて出家者に供養・招待・要請を提案し、出家者に己の信心が、いまだ存在する事を知らせる事である。
(後略)
(注1)浄人。kappiyakāraka 略称してkappiya。比丘が(+供養の物品を)受け取れるようにしたり、使える様にしたりする。すなわち、比丘が清浄戒を受持できるように、比丘に奉仕する人。ある種の誤解により、浄人は、比丘の代わりにお金を受け取る人であると思われているが、実際は、浄人は、ただ、比丘が必要な時に、如法の物品を受け取れるように、施主に代って、お金を保管しているだけである。
出家者は、必需品を手にするのであって、金銭を手にする事は決してないことに注意する。
(以上、翻訳終了)。
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「偽比丘の見分け方」中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>