Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~嘘をつく罪~2

インド人は、言葉の定義に熱心で、また言葉の定義に関して、非常に深く思考する民族だな、と思います。

彼らは「嘘とは何か?」というテーマで、延々と何時間でも、議論しているのではないか、と思うほどです。

たとえば、「午後、雨が降るよ」と嘘をついたとします。その場にいた誰もが鼻で笑って動かなければ、これは「嘘ではない」のだそうです。

その場にいた誰かが、洗濯物を取り込むために急いで家に帰った・・・などの行動や現象があった時、初めて「嘘」が成立するのだそうです。

ゴータマ仏陀も、森の中に逃げた鹿を追いかけてきた猟師に「私は鹿をみていない」と嘘を言っています。

弱いものを守るための嘘は、嘘ではないという事でしょうか。嘘か、慈・悲か、その境界線を引くのは、なかなか難しい事です。

話は飛びますが、チューラ・パンダカは、お経の短い文章も覚えられなくて、兄に還俗を命じられて泣いていた所に、仏陀がおいでになり、彼に白い布を渡して、「これを手に持って『汚れる、汚れる』と言いながら、拭き掃除をするように」と指導しました。

パオ・セヤドーの著書によりますと:

チューラ・パンダカが、馬鹿者として出生したのは、過去世において王様(非常に有能)であった時に、臣下に対して「お前はなんて無能なやつなんだ!」と、いつも叱り飛ばしていたのが、一つ。

もう一つは、過去世で非常に優秀な比丘であり、サンガの指導者でもあった時に、自分の弟子に「お前は救いようのない馬鹿だ」といい、その弟子が悲観して、還俗してしまった事。

己の仕打ち、己の嘘が、他者の人生に影響を与えた時、他人を苦しめた時、因果の報いは必ず戻ってくる、という事です。

私の手元に経典がないので、原典には当たらず、パオ・セヤドーの著書を引用しました。

ご参考まで。

       <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>