Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~アチャン・チャーの想い出

私が毎年タイに通って、パーリ・ダンマを学び始めたのは、もうかれこれ40年くらい前でしょうか。

小さい頃から仏教が好きでしたが、子供心になぜか大乗経典が仏説であるとは思えなかった私は、仏法の源流のインドか、またはタイやミャンマーでダンマを学びたいという、強い思いがあったからです。

日本では、まだ<テラワーダ(仏教)協会>が出来ていない、そんな頃でした。

その頃、私はフリーで通訳の仕事をしていたので、国内外の出張が多く、家族には「ちょっと外国へ・・・」と言っては、タイへ出かけたものです(夫が余り仏教が好きでないので、家では仏教の話を控えていた為)。

最初に訪ねたのは、アチャン・チャーの120何番目かの僧院ワット・パー・スナンタ・ワラナム。

と言っても、信者から荒れ山を寄進されたばかりの頃で、県道から僧院へ向かう道もなく(地元の人に、バイクで送っては貰える)、なんとか到着すると、そこには粗末な座禅堂と、小さな台所があるだけ。私は竹でできたクティ(一畳)に蚊帳をつるして、寝泊まりしたものです。

但し、私が何の連絡もなく突然やってきて(この寺院は手紙が届かない番外地)、他に女性の泊り客がいない場合、近所の農家の女性(マッリさん)を呼んできて、一緒に泊まって貰ったのも、よい思い出です(テラワーダ寺院、比丘の規律・梵行は、それくらい厳しいのです)。

そして最近、この僧院の現在の住職さんが来日された時、九州の我が庵を尋ねてくれたのは、望外の喜びでした。

アチャン・チャーの本山寺院ワット・パー・ポン(グ)には、一度だけ行きました。

当時、アチャン・チャーは大変な人気で、「事前に宿泊申請しておかないと、お寺には泊まれないよ」と言われたものです。

アチャン・チャーの創建した国際寺院ワット・ナーナー・チャッ(ト)にも、行きました。比丘方の後に並んで托鉢しましたが、ここは食事がとてもいいです・・・外国人修行者が大事にされている証拠ですね(笑)。今は隠居されていますが、当時は、アメリカ人のアチャン・スメドーが住職さんをされていました。

ある人がアチャン・チャーに「あなたは英語ができないのに、外国人を受け入れて、どうやってダンマを教えるのですか?」と尋ねた所、アチャン・チャーは「君は牛の言葉を習ってから、牛を飼うのかい?」と答えたそうです。

言葉が分からなくても、アチャン・チャーの僧院では朝夕、座禅・瞑想し、昼間は休息をはさみながら作務をするスタイルが確立されていたので、外国人にもその通りにやってもらったのでしょう。

アチャン・チャーは<パーリ語でアビダンマをガンガン>というスタイルを取りませんでした。そして問題が起きたら「己自身の心こそ振り返れ」と言い、亀が危機の折には、手足を甲羅の中に引込める様に、己の六根を守るように、と教えました。

私は、タイの深い森の中で聞くパーリ語のお経も、タイ語のお経も、どちらも好きでした。確か<32身分>はタイ語で、「大念住経」はパーリ語で誦していたように思います。

タイの森の中でパーリ語の「大念住経」を聞いていると、仏陀が傍で、直に教えて下さっているようで、ホロホロと涙がこぼれたものです。

今年はアチャン・チャー生誕100周年です。

アチャン・チャー法話集全12巻(中国語版)が手元にあるので、ゆっくり読んでみたいと思います(全巻読破目標です)。

        <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay>