<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
正念と正知は、同時に運用される。
正しい修行方法とは、「今、私は座っている」の「私は」を取り去り、「現在(+の状態と)は、座っている色身である(=座っているのは私ではなく、色身である)」とする。
上記の眼目は、日常生活において、各種の動作を認識する方法と異なる所はないが、ただ「私が」座っていると言う邪見を取り除くだけである。
「覚照」の描写に関して、<座っている色身>に対して、我々が知っている言葉、使っている言葉としては「感じる」「知る」「見た」(心が見た)、「観察」または「認識する」があり、これらの言葉は、皆正しい。
実際、覚照というこの言葉は、以下のように理解する事ができる。
たとえば、座っている時、「私は座っている」を「座っている色身」と取り換える、ただそれだけである。
覚照は、正しく修行しているかどうかの、キーポイントである。
(2-10につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>