Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「身念処」2-9

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

正念と正知は、同時に運用される。

正しい修行方法とは、「今、私は座っている」の「私は」を取り去り、「現在(+の状態と)は、座っている色身である(=座っているのは私ではなく、色身である)」とする。

上記の眼目は、日常生活において、各種の動作を認識する方法と異なる所はないが、ただ「私が」座っていると言う邪見を取り除くだけである。

「覚照」の描写に関して、<座っている色身>に対して、我々が知っている言葉、使っている言葉としては「感じる」「知る」「見た」(心が見た)、「観察」または「認識する」があり、これらの言葉は、皆正しい。

実際、覚照というこの言葉は、以下のように理解する事ができる。

たとえば、座っている時、「私は座っている」を「座っている色身」と取り換える、ただそれだけである。

覚照は、正しく修行しているかどうかの、キーポイントである。

(2-10につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>