Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「身念処」2-12

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

2-2-1 修行の原則

1)心身の両方の所縁を、同時に検査(=点検、確認)してはならない。

例えば「身体が歩いている、心がそれを知っている」など等。

ある種の修行者は、更に多くの所縁(身体と心の両方)を利用すれば、更に速く智慧を誘発する事ができると、考える。

しかし、この種の、智慧を誘発したいという貪念は、いたずらに煩悩を増やすだけである。

我々は、四つの姿勢を所縁とするだけで、すでに十分である。

2)時間を決めて歩いたり、座ったりしてはいけない。姿勢の転換は、痛みが生じた時に、初めて行う事。

3)「私が」「修行している」と思ってはならない。このようにすれば、修行に対して特殊な、または神秘的な概念を生じせしめる。

我々が歩いたり座ったりするのは、修行の為ではなく、我々はこのように歩き、また座らざるを得ないのである。

4)特殊な姿勢で修してはならない。

例えば、結跏趺坐、歩く時に、特にゆっくりと歩く等。これらの特殊な姿勢で修すると、通常は、法を見たいという貪欲を帯びる事が多い。

5)ある種の初心者は、この種の修行が、退屈であると簡単に断定してしまう。

これらの修行者は、己自身に警告しなければならない。我々の修行は、苦を滅する為であり、もし我々が、修行を退屈なものだと見做したならば、苦を滅することは出来ず、そうであれば、永遠に生死輪廻の中で、のた打ち回らなければならないのである。

(2-12につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>