Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「身念処」2-16

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

修行者は、以下のレベルの「如理作意」を、実践しなければならない:

食べる、飲む、沐浴する、または厠、食器洗い、洗濯などなどの日常的な活動において、たとえば、食べる時、物を食べるのは、ただ苦を治するためだけ、であると観照する。

咀嚼する時、一口毎に注意を払い、一刻一刻、食べ物を飲み込む時の感受に注意を払い、飢餓が徐々に解除される感受にも、注意を払わねばならない。

食べ物を咀嚼する時、あなたは、その一口、一口は皆、苦を治する為である事に、注意する必要がある。

このようにすれば、あなたは、飢餓の苦が迫って、あなたをして咀嚼させ、飲み込ませているーー享楽の為に食べているのではない、という事を体験する事ができる。

朝、目が覚めた時、横になっている色身に注意を払う。起き上がる時は、原因(「如理作意」)に注意を払うーー飢餓の為に、何かを食べたいとか、他人を起したいとか、ただこれ以上寝ていられないから・・・等々、横になっている色身が、起き上がらざるを得ないのは、これ以上寝ていられないからであり、横になっている色身は、すでに苦痛を感じているが故に、起き上がらざるを得ないのである。

もし、顔を洗う為に起き上がったとしても、やはり、苦を治する為なのである。

しっかりと「如理作意」をもって観照し続けるならば、煩悩は、我々の覚受(=感受)を支配することはできなくなる。

「如理作意」は、我々をして、色身は、運用されるが(=動作が展開されるが)、それは「私」ではない事を、知らせてくれる。

(2-17につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>