Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「身念処」2-23

   <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

2-3 修法の研究

2-3-1 当該修法と四聖諦との関係

1)苦諦:

我々は、一つひとつの姿勢の中において、苦を見ることができる。そして、発見した苦は、苦苦及び行苦である。この二種種の苦は、我々をして、苦諦(身・心は皆苦である事)を体験・証悟せしめてくれる。

2)集諦:

貪愛は苦の因である。座る色身などなどをしっかりと覚照するならば(<今・ここ>を保持する)、実相般若は生起し、そのことによって、「私が」座っているという邪見を打ち砕くことができる。

3)滅諦:

煩悩が益々少なくなると、我々は益々苦の滅(涅槃)に近づくことができる。ここにあるのは、短時間の暫定的な(彼分涅槃)である(注1)--もし、<今・ここ>において意識を保持する事ができるならば。

また、もし、恒常に保持する事ができるならばーー例えば、それは円覚者の証する所となる(断惑涅槃)。

貪愛を断じ除くだけで、苦痛は止息される。というのも、貪愛は苦の因であり、因を除けば、果も除かれるからである。

我々が四聖諦を証悟したいのであれば、道心(道識)の力を借りなければならない;道心は、煩悩を断じ除くことができる(1-6-1節「実相」、3-1節第14階智、参照のこと);

4)道諦:

念をして身体における各種の姿勢に住せしめ、<今・ここ>を保持する事は、戒・定・慧を修しているのであり、それは将に八聖道または道諦なのである。我々は、智慧でもって、益々苦を体験・証悟することができれば、ますます八聖道を実践する事ができるのである。

2-3-2 各種の苦における四念処の修法

苦苦(身体の痛み、苦痛、苦しさ)

(注1:彼分涅槃(+を得るに)は「身体ー心ー現在法」から始めて、随順智を証悟する事を通して、我見を断じ除くまで、修行を継続する。その時初めて「滅」(涅槃)は、永恒になる(3-1「16階智」参照の事)

色身

行苦(変化している最中のもの、または治するべき痛み等。苦苦比較すると、更に微細で発見しにくい。)

心身

苦諦(純苦)

苦苦は一般的な苦であり、たとえば、各種の姿勢の中にある痛み、苦痛。修行者は、先に苦苦を観照しなければならない。というのも、苦苦は、常に、四種類の姿勢の中に存在していて、非常に発見しやすいが故に。修行者が苦苦を理解した後、身・心は、苦苦によって駆り立てられて、一日中姿勢を変えている事を知ることができる。

行苦は、古い姿勢から新しい姿勢に替えた時、残された苦(+引き継いだ苦)を言う。行苦もまた、色身を維持するために、毎日行わなければならない活動であり、それはたとえば、粗い息、飢えを癒す、呼吸など等である。

苦の相は、身・心の特徴である。それらには、共通の特徴がある:

すなわち、無常・苦・無我である。

これらの特徴は、唯一、実相般若を通してのみ、体験、理解することができる;三法印を体験・証悟したいのであれば、第四階智ーー生・滅随観智ーーを成就しなければならない。

苦諦は第一聖諦ーー苦の聖諦である。苦諦とはすなわち、身・心の事であり、苦諦が体験・証悟される時、四聖諦すべてを体験・証悟した事になる。

(2-24につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>