Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「身念処」2-26

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

2-3-4 身・心

この修法に関して、身・心を所縁としている事を理解するのは、修行者にとって、非常に重要な事である。

もし修行者において、身・心に対して、覚照し続ける力がないのであれば、非常に勇猛に精進する修行者であっても、それは徒労に終わるであろう。しかし、もし修行者が修法をよく理解したならば、この種の修行は、あまり難しくないはずである。

修行する前に、徹底的に身・心を点検するのがよい。このようにすれば何が何であるかを知ることができる(+何が何とは、六根の作用を指す)。

上述する事は、ちょうど本を読むようなもので、学生は、本を読む前に文字を覚えなければならないが、同様に、修行者は、前もって身・心を認識し、理解すれば、その修行は良好なものになる。

もし、我々が修行において、身・心を所縁として(+修行を)持続する事ができなにのであれば、「私は苦しい」「私は苦しんでいる」という概念で修行をしてしまう。このような事であっては、我々は、「自我」という概念に妄執する事を断じ除くことは、できないであろう。

(2-27につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>