<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
2-3-4 身・心
この修法に関して、身・心を所縁としている事を理解するのは、修行者にとって、非常に重要な事である。
もし修行者において、身・心に対して、覚照し続ける力がないのであれば、非常に勇猛に精進する修行者であっても、それは徒労に終わるであろう。しかし、もし修行者が修法をよく理解したならば、この種の修行は、あまり難しくないはずである。
修行する前に、徹底的に身・心を点検するのがよい。このようにすれば何が何であるかを知ることができる(+何が何とは、六根の作用を指す)。
上述する事は、ちょうど本を読むようなもので、学生は、本を読む前に文字を覚えなければならないが、同様に、修行者は、前もって身・心を認識し、理解すれば、その修行は良好なものになる。
もし、我々が修行において、身・心を所縁として(+修行を)持続する事ができなにのであれば、「私は苦しい」「私は苦しんでいる」という概念で修行をしてしまう。このような事であっては、我々は、「自我」という概念に妄執する事を断じ除くことは、できないであろう。
(2-27につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>