Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「身念処」3-1(116/203)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第三章 成果

聖者は生死輪廻を脱し離れ、一切の貪愛を断じ尽くした。涸れた河道の中、愛水は二度と奔流する事はなく、生死の巨大な車輪は、二度と回転する事はない。

これが苦の止息;涅槃である。(小部ニカーヤ)

3-1 16階智

1、名色分別智

この智とは、修行者が、<今・ここ>において体験・体得する実相である。

実相とは、身・心の自然な状態の事を言い、この智は、身・心を「我」として妄執する邪見を取り払う。というのも、身・心を「私」として妄執する煩悩(邪見)は、(+あなたの中に)非常に長い間存在し続けてきた。故に、この智(身・心の無我を見る智慧)は、修行者にとって、<今・ここ>において、非常に掌握しにくいものである。

この階智を成就したいと思う人は、仏陀が《大念処経》の中で述べている四念処に基づいて、正しく修法しなければならない。

この智を成就したいと思う修行者は、徐々に強化した思慧を用いて、常に<今・ここ>において、身・心を掌握する事。正念正知が非常に鋭利な智慧を生起させ、次に正見を誘発させるまで、修行しなければならない。

たとえば、正見が生起した時、修行者は、<今・ここ>において、何が色身で、何が心(座っている色身、心が聞いているなど等)でるかを知ることができるーーまた、彼は、心が、これは座っている色身(+に過ぎない事)など等である事を知る。

そして、更に一歩進んで、彼は、世界の万物は、ただ色法と名法に過ぎないーー非男、非女、無我であり、または霊魂はないーー事を理解することができる。

修行者は今、この事を知った、または彼の内心において、深く体験・体得したのである。

自我の邪見が打破された時、修行者は非常に驚く。というのも、生まれてからこの方、この種の「私」が無い、という感覚を体験した事がなかったが故に。

(3-2につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

(3-2につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>