Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「身念処」3-10

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

8、厭離随観智

一つひとつの階智(+を昇る時、そ)の階智毎に、智慧はますます強くなる。

この智において、身・心(五蘊)に対する厭離の感覚が生じる。

この事は、先の階智において、身・心の禍を観察した結果であるが、しかし、この種の厭離は、瞋恚の心ではなくて、智慧である。

この種の状況は、如何なる「有」の中にも、たとえ最高の地位ーー国王、または億万の富豪であっても、二度と生まれたくないと(+いう気持ちを)誘発する。

これはまさに、二つの行く道があるような状況である:

一つの暗い道は、引き続き生死輪廻する道で、もうひとつ別の道は、明るい道で、安全で守れらている所の涅槃である。

身・心に対する厭離から、この暗い道には楽趣を見いだせず、涅槃へ通じる明るい道は、非常に人を引き付ける。

この種の、貪愛を放棄したが故に得られる智慧を、厭離随観智と言う。

もし、完全に貪愛を放棄したならば、離染(無執着)と言い、これ(+があれば)解放または解脱へと導かれ、次には、解脱から涅槃へと至る。

この智を成就すると、少なくとも三法印の中の一相を体験・証悟する事ができる:すなわち、無常・苦・無我である。

もし、厭離の感覚に瞋恚心が含まれている場合は、厭離随観智ではなくなる。

そして、瞋恚の心が含まれる厭離においては、三法印を見ることは、できない。

Vipassana によって生死輪廻から脱し、離れたいと考える人で、もし、この智を成就する事ができたならば、すべての煩悩、以前にあった非常に強い煩悩であってさえも、緩くなり、弱くなる。

この智から(+以降)は、道心(注1)によって、涅槃への道へと、導かれる。

この智が厭離する感受は法句経の偈頌に纏める事ができる;

諸行皆無常(諸行は無常)、

智者了知此(智者はこれを知る)、

直道厭離苦(苦を厭離する道)、

此解脱真道(これ、解脱の真の道)。

9、欲解脱智

第七階智からは、身・心の危険と禍を体験・体得する。

第八階智では、厭離が生起する。

今、修行者は身・心に対して、解脱したいという楽欲が充満している:

牢獄に入れられている人が、一分一秒も、そこから逃れたいと、思わない日が無いかの如くに。

第6、7、8階智は相互関係がある。

一つひとつの階智の感受は、益々強くなり、怖畏現起智は、過患随観智を誘発し、次に、過患随観智によって厭離随観智が誘発されるーーその後に欲解脱智が生じる。

その後に、この智(第九)によって、涅槃へと至る:

欲解脱は、(+修行者をして)涅槃に至るために、更に修行に励みたいと思わせるからである。

(注1)涅槃へと導く道心(または道識)とは:厭離、離染と彼分涅槃(ネガティブ・邪見を、ポジィティブ・正見に置き換える方式によって、煩悩を徐々に減らす事)である。。

彼分涅槃の例は、第一階智において、我見が正見にとってかわられる事等。

(3-11につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>