Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-125

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

8-10-3 捨離一支:具備二支

ここにおいて、知っておかねばならない事、それは一支を捨離するとは、喜を捨離する、という事を意味する事である。

しかし、それは、安止定の刹那において、初めて捨離されるのである。

ちょうど、尋と伺が第二禅において、捨離されるが如くに。

こうしたことから、これを「捨離支」と呼ぶ。

また、「具備二支」とは、楽と一境性の両者が同時に生起する事である、という事を理解しなければならない。

こうしたことから、《分別論》の中で、「ジャーナは捨、正念、正知、楽と一境性である」と言われるのであるが、それは、隠喩の形でジャーナそのものと、ジャーナの具備する法について、説明しているのだ、という事を理解しなければならない。

しかしながら、このジャーナは、二つの明るい相の禅支を具備している為に、「その場において、何が二支を具備するジャーナか?それは楽と一境性である。」と言われるのである。

(5-126につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>