Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

「ごまかさない仏教」その1、その2に関する訂正文

過日、私のブログ(1月31日付)において、宮崎哲弥氏と佐々木閑先生の対談本『ごまかさない仏教』の中で、宮崎氏による<名色分別智>の解説が間違っている事を指摘しましたが、その時に私が述べた説明において、若干の間違い、意味のずれがありました(ブログ大題「ごまかさない仏教」その2)。

ここにお詫びして訂正いたします。

名色分別智とは、観禅の修行を通して、名法と色法の、それぞれの細かい区別を確認し、体験・体得して得る、智慧の事。

安般念などの業処の修行を通して、禅相(nimitta)が確立した修行者は、次に、心臓にある<意門>を観ずる。

これが出来るようになると初禅成立といい、その後に、五禅支の確認と五自在の修行をする。

これが可能になると、四界分別観の修行をする。

修行者は、これらの修行を通して次第に、名法は名法、色法は色法である、という区別がつくようになる。

また、名法とはすなわち色々な心所である事(=心心所)、その区別、区分ができるようになり、色法については、地・水・火・風、色彩、味、栄養素など等を、別々に分析(=分解)して観る事ができるようになる。

これが名色分別智であって、それは、宮崎氏のいう所の、<人間の持つ、事柄、物事に対する、言語による誤解、幻想、矮小化を超えていく修行><人間の、言語依存による先入観の空性化>とは、まったく別の事柄なのです(宮崎氏は、名色の名を言語、色を身体と理解したのだと思います。それは名色分別智の定義上、100%誤解です。)

(名色分別智に関する解説は難しいため、上記★~★までの文章は現時点では、未完であるとし、仏教書を確認しながら、ひき続き推敲し、半月ほどして、文章を完成させた後、宮崎氏に内容を通達します。)

また、ブログ大題<「ごまかさない仏教」その1>(1月28日付)に関しましては、誤解を防ぐために、3月7日付にて、当該本文内に、赤文字で、意見・解説を追加しました。ご参考下さい。

    <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay 般若精舎>