Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

飛び入り翻訳~『24縁発趣論』1-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

もし、大きな魚を小川に入れたならば、この大きな魚は、非常な苦痛を感じるに違いない。

なぜか?

というのも、小川が小さすぎて、自在に泳ぐ事ができないが故に。

しかし、もし魚を大海の中に放ったならば、彼は悠悠と泳ぐことができる。

同様に、仏陀の一切知智は、《発趣論》を省察した時に初めて、頂点に達する事ができた。

《発趣論》は、《アビダンマ論》の中に列挙される名色法の(+相互の)間において、それは、如何なる種々の方式によって、連携が生じるのかを、詳細に述べているものである。

それは縁起法を解説しているが、それはすなわち、縁法がどのようにして、特有の縁力に依存して、縁生法を生起させるのか、を述べているのである。

故に、《発趣論》全体はすべて、縁起法について、述べているのだと言える。

その中(=縁起法)には、不変の実体、または主宰(+者)というものはなく、衆生もなく、あなたもなく、私もなく、彼もなく、ただ身体と心が相互に関係し合う過程があるのみであって、それらは純粋に、無常であり、無我なる現象である(+ことが分かる)。

仏陀は言う:「縁起を見る者は、仏を見る;仏を見る者は、縁起を見る。」

縁起とは、仏教の全体の教理の中において、最も重要な教法である。

縁起を理解して初めて、無我の真諦を理解する事ができるのである。

本書において検討されるのは、名法と色法の間において、どのようにして相互依存の関係が成立するのか、という問題であり、それはすなわち、諸縁が持つ所の特有の支持力ーー24縁について語られているのである。

一、縁法(paccayadhamma):

これは、他の法縁となる法である。この縁法は、生じる事、支える事、または他の法を維持する事によって其の縁となる縁である。

二、縁生法(paccayuppannadhamma):

これは、縁法の支援を受ける法である。それは、縁法の支援の下、生起するかまたは、その存在を持続させるものである。たとえば「12因縁」の第一支「無明縁行」のその意味は、無明が生起するが故に、行が生起する、という事である。

無明は縁法であり、行は縁生法である。

三、縁力(paccayasattai):

これは、縁法が、縁生法の縁となる特別な方式である。合計24の縁力が存在する。

(1-3につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>