Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』2-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

所縁 ārammaṇa または ālambana は、心と相応する心所が、楽を取り(=楽しみに執着し)、そこに留まる所の、目標である。

心は、なぜ生起するのか?

所縁の関係によって、である。

ひとたび所縁がある所、心は生起する。

そして、の上、所縁に引き付けられてしまう。

たとえば、美しい声、音等を聞くと、我々の耳識は、音に引き留められてしまうのである。

合計で、六つの所縁がある。

すなわち、六塵ーー色、音(声)、香、味、触と法である。

仏陀は、これらを、六個の強盗だと言っている。

常に我々の六根ーー目、耳、鼻、舌、身体と意を打ち、襲うからである。

色塵は我々の眼根を打ち襲い、我々をして、貪愛または怒り、恨みを生起せしめる;

たとえば男性は、美人の女性を見ると、容易に貪が生起する。

もし、我々が喜ばしくないもの、恨んでいる人に会うならば、容易に瞋恚が生起する。

音が我々の耳を打つとき、他人からの称賛の声を聴いて、我々の心は多いに貪を生じせしめる;

他人からの批判の声を聞いた時、我々は大いに怒り、瞋を生起させる。

味が我々の舌根を打ち襲う時、舌が喜ばしくない味を味わうと、顔はしかめっつらになり、瞋が生じる;喜ばしい味を味わう時、笑顔になり、貪が生じる。

(2-6につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>