Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

FDC資料「37道品ハンドブック」2-4 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

【以下の翻訳は、福岡ダンマダンマセンター(FDC)の法話会に供する為の資料として翻訳したものです。興味のある方はご参照下さい】

もし、この精神病患者が、一人の優秀な医師に出会い、かつ正しい治療を受ける事が出来るならば、たとえば、彼を入院させ、治療したならば、彼をして、精神の正常な人に、変えることができる。

このように治療する事ができたならば、彼は食事をする時も、心をコントロール(制御)することが出来、そうすれば、お腹一杯食事をとる事もできる。

他の物事に対しても、彼は簡単にコントロール(制御)する事ができるようになって、仕事も出来るし、話をする時も完璧になる。これが一つの例である。

この世界において、心智が散乱している人は、心神が喪失した人のようで、それは禅定とvipassana ができるようになるまで続く。

(+心智が散乱している人は)上述した精神病患者のように、食事をしようとしても、5、6口食べただけで、フラフラと外へ出てしまうような状態の人と、同じである;

これら心智が散乱する人、彼らの心念は、四方へ漂い出る。というのも、彼らは(+心を)コントロール(制御)する事が出来ないが故に。

彼が仏陀に敬礼して、仏陀の殊勝な特徴を憶念する時、彼はこの神聖なる特徴に、心念を置いておくことができないで、(+心は)他の考え事、他の対象に逃げ込もうとしてしまう。

そういう事であるから、「iti pi so・・・」(世尊はまことに・・・)の偈を最後まで誦る事もできないのである。

(2-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

  <「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>