Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

般若の独り言ー好高WU(務+馬)遠

今朝、久しぶりに剪定バサミを持って庭に出ました。

去年の年末から今年の春にかけて、ここ九州の盆地は、何度も何度も、零下7~10度を記録したため、庭の木々が相当に弱っています。

父が好きだった台湾原産の玉蘭も、祖母のために植えたジューンベリーも、根が凍みたのか、瀕死の状態(私は植物に弱いので、どうしたらいいのかよく分からない)。

ただ救いは、ここに越して来てから植えたバラの苗はすべて(以前に、すでに枯れたのは別として)生き残ってくれたので、これからこのバラの手入れにがんばろうと思います。

それにつけても思い出されるのが、以前台湾の釈従信師が言っていた言葉。

釈従信師は、40年前の台湾にはめずらしく、原始仏教派で、大乗仏教を鋭く批判していた僧侶。

彼の口癖は

「大乗の人間は、何かというと『菩薩になる』が口癖だが、足元の修行をなおざりにして、栄光ばかりを追い求めている」「これを好高WU遠(高いところ遠くばかりを求めて、足元を見ない事)というのだ!」でした(理論的言って、仏陀になる為の菩薩の修行は、阿羅漢になるより難しい)。

私も庭の手入れを怠りながら、「庭にたくさんの花が咲けばいいのに」なんて思っていたので、これも<好高wu遠>の一種でしょうか(hao四声 gao一声 wu 四声 yuan三声)?

そして、テラワーダ好きの人々も同じように、やれ「ジャーナだ」、「悟りの光だ」とかすまびし事、この上ない(ジャーナも、nimittaも大切ですが、我勝ちの競争になったり、高慢になっては本末顛倒、の意)。

あなたは隣人に優しいですか?

あなたは自分自身に優しいですか?

少欲知足ですか?

怒りや貪欲(過剰な欲)は、コントロールできていますか?

脚下照顧。

いつの日か、顛倒夢想~己のエゴの崩れ去らんことを願って、今日一日、着実に生きる。

そんな風でありたいと思います。

ミャンマー、パオ森林僧院 pannya-adhika sayalay>