<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する資料です)
現今の仏法(+の存在する)時期において、「戒清浄」を修習する事は、ちょうど子牛を訓練する時、先に牛小屋に入れておくのと同じ事である。
もし、幼ない子牛を、牛小屋に閉じ込めないならば、彼は他人の財産を損壊し、飼い主に面倒を齎す。
こうした事から、もし、一人の修行者に「戒清浄」が欠けるならば、三業(身業、口業、意業)は蠢き、世間的な邪悪に順じて、「法」で述べる所の明確な悪業をなしてしまう。
「身念住」を開発する努力は、ちょうど子牛の訓練の為に、鼻の穴に縄索を通し、杭に縛り付けるのと似ている。
牛用の杭に子牛を縛り付けたならば、飼い主がどこへ行こうかと思えば、子牛もついて来て、どこにも逃げる事ができなくなる。
このように、「念住」というこの縄索でもって、心霊(=心)を身体に繋ぎ止めておけば、心霊は四方に漂う事はなく、主人の欲する所に基づいて、どこにいこうかと思えば、そこに附いて来るのである;
(+この時)無尽の、止まることを知らない輪廻の中における、心霊の迷い乱れる習慣は、止む。
(2-12につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>