Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

FDC資料「37道品ハンドブック」3-19 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

已に生じた智慧と未生の智慧

有明大経》に以下のような事が書かれてある:

「ソータパナ道における正見と正思惟は、涅槃を目標としており、故にこれを智慧と言う。」

この種の智慧は、随眠レベルの身見を打ち壊すことができるし、また、捨断の力が強く、一切の邪見、邪思惟の遺跡を完全に取り除き、堅固な心で、悪行、邪命を断じ除く。

邪業の古い蔵、倉庫もまた、完全に消え去り、次には、三悪道の輪廻の中から解脱することができる。

この時より、邪見悪行の罪悪は、未来の生において、二度と生起することはない。

唯一、仏法の中において、「無我の禅修」が生起する時においてのみ、智慧は、生起する。

故に、すでに仏法に出会えた衆生は、仏法がまだ存在する時期に、この種の「未生の智慧」を証得する為の努力をしなければならない。

この事は、「身至念」から始めて、「無我の禅修」が円満具足するまで、37道品を修習しなければならない事を意味する。

聖者の世間的正見、正思惟は、「定法」のレベルの上に打ち建てられている。

彼らが、それに安立する刹那から始まって、一系列の生まれによる転生を通して、涅槃を証入するまで、これら聖者は「業自性」の正見智、経教智、実践智及び四聖諦を、擁している。

しかし、凡夫の擁する世間的智慧は、「不定法」のレベルの上に打ち建てられている。

凡夫は、無尽の輪廻の中で漂っており、ある時には「法」の中で学習し、ある時には、修習の内から名声を獲得し、ある時には転生して大長老になり、あるときには大物理学者になり、その他の時期には、かたつむり、回虫、蛭、蚤、昆虫、蛆などの動物・生物になって、ただひたすら生存そのものだけを、願うのである。

故に、衆生は、縁があって仏法に出会ったならば、「不定法」(暫定的か、または刹那的に擁する法)の智慧を、「定法」の智慧に転換するよう、精進・努力しなければならない。

この事は、「身至念」から始めて、「無我の禅修」が円満具足するまで、37道品を修習しなければならない事を意味する。

善業に関する二種類の智慧についての説明は、これで完了する。

(3-21につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>