<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
「心」(Citta)は、修行者が、仏法に接触したり、仏法を聞いたりした時、「如意」に固着(=執着)する事を言う。
この種の固着は、極めて強烈な情熱を言う。
一人の人間が、甘美で豪華な世界において、権勢と幸運に恵まれた生活をしていたとしても、その人が修行者であるならば、これらの事柄に誘惑される事なく、経典の研究をしたりして、彼の心霊は、常に「如意」の中にあるのである。
一人の修行者は、唯一、全身全霊を「如意」に関する事柄に貫通させる時においてのみ、満足と安らぎを得ることができる。
それはちょうど、錬金術師が、根本物質を金銀に転化しうとして、全神経をその活動に投入するようなものであって、このような錬金術師は、他の事柄に関心を持たず、ただ、錬金という活動にのみ集中する。
彼は寝食を忘れ、歩くときも自己を忘れる。
「心」とは、この種の巨大な専心の活動であり、またはこの種の性質を持つ、固着的活動なのである。
(4-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>