<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
どのように理解すれば良いのか?
舌門心路過程を例にして説明する。
舌は、味を所縁として取る。
味が、舌浄色(舌根)を撃つとき、舌識が生起する。
舌識の生起は、所縁縁を通して、(+生起するの)である。
舌識は、心王はであり、心王は、必ず心所と一緒に生起する。
舌識が生起する時、7つの心所が同時に生起するが、それらは:
触(phassa)、
受(vedana)、
想(saññā)、
思(cetana)、
一境性(ekaggatā)、
命根(jīvitindriyaṁ)、
作意(manasikāra)である。
これら、心王と同時に生起する心所は、俱生縁を通して、生起するのである。
舌識が滅すると、この7つの心所も同時に滅するが、それを、同時滅と言う;
それらは、同じ一つの目標を縁に取るが、舌識は味を目標として、それを縁に取り、相応する7つの心所もまた、同一の味を目標として、それを縁に取る;
それらは皆、舌浄色を依処としている。
(6-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>