<daṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
ここにおいて、我々は、多くの生、多くの世を経て、衆生が「ソータパナ聖者」を証得する段階の、その刹那から始まって、最後に「無余涅槃」を証得するまで、「預流法」の「八正道」は如何にして、迅速に安立されるのかを説明した。
「身念住」安立の、その刹那から始まって、上に述べた過程を展開・体験する。
「決定」(niyāma)の境地に、いまだ到達していないならば、衆生は聖者ではありえない。
「預流道」は「預流聖者」の起点である。
衆生がひと度「預流道」を証入したならば、彼らは、聖者の領域に進入することができる。
「彼らは、初めて『預流聖者』を証入する時より、『預流者』と呼ばれる」
ここにおいて私は、「彼らはなぜ『預流者』と呼ばれるのか?」という疑問に答えた。
衆生がひと度、聖者の境地に証入するならば、凡夫の境地を超越する事になる。
彼らはすでに俗人でもなく、世間的な衆生でもなく、出世間の衆生となる。
彼らはもはや、輪廻の苦しみに従う衆生ではなく、涅槃寂滅の衆生となる。
(+今後)多くの生、多くの世を経たとしても、涅槃の初期的な段階に、戻る事はない。
彼らは、「身見」を擁する所の「随眠」のレベル、または凡夫の境地に戻る事はない。
彼らは「有余涅槃」の第一段階に安立し、生々世々、代々において、人類、天人、梵天の楽しさを享受する。
これより深い説明、研究については、自著《四聖諦ハンドブック》、《第一義諦灯注》を参照の事。
(8-10につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>