Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』9-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

同様に、食物も、我々の健康に影響を与える。

己に合う食物を食べた時、身体が健康であるばかりでなく、修行にも利益がある。

古代、ある一人の在家の女性が、比丘に食べ物を供養していた。

彼女は比丘に、禅修の業処を教えてもらい、修行に精進したので、サターガミ道果を証得するとともに、他心通も獲得した。

彼女は、己が供養していた比丘は、阿羅漢に違いないと思っていたが、しかし、彼女が神通で観察した所、比丘たちは、いまだ聖者でない事を知った。

彼女は、自分が供養する食物が、適切でない為に、比丘たちの禅の修行に阻害が生じている事を知った。

そのため、彼女は比丘たち一人ひとりに合う食べ物を供養するようになり、比丘たちは、この親依止縁によって、聖道を証悟した。

 

善業は、善業の親依止縁となることができる。

たとえば、我々が、以前になした布施などの善業を思い出す時、心中は愉快になり、再び、布施をしたいと思う。

これは、我々の、以前の善業が、我々の現在の善業の親依止縁となっている例である。

反対に、たとえば、我々が以前になした不善によって、後悔の心が起こるならば、以前の不善は、現在の不善心(後悔)を生起せしめる所の、親依止縁となる。

善法はまた、不善法の親依止縁となることもありえる。

たとえば、常に、度々、大布施をする人が傲慢になって、布施の少ない人を馬鹿にする、など;

持戒が清浄な人が、持戒が不清浄な人を軽蔑する、など;

説法に長けている法師が、説法が苦手な僧人を軽視する、など;

定のある修行者が、修行に精進していながら、定を得ることのできない修行者を見下げる、など。

(9-7につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>