Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』11-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

心路過程は何故、生起するのか?

どのような因と縁の条件の下で、それは生起するのか?

我々は、眼門心路過程を例にして説明したいと思う。

第一番目の原因は、所縁が存在する、という事。

一個の所縁(色)が、眼浄色を打つとき、眼門心路過程が生起する(もし、眼門心路過程が生起しないならば、眼識は見ることができず、それが何であるかも認識することができない。)

次に、意門心路過程は、更にそれがどのような様子のものであるか、形状、色等などを(+しっかりと)見る。

すなわち、眼門心路過程と意門心路過程の生起する、その目的は、所縁をはっきりと見る為である。

過去有分識が生起する時、眼浄色(眼根)は、その生起を開始する。

この心識が滅した後、眼浄色は依然として、存在する。

というのも、それの寿命は比較的長いからで、それは、17個(+分)の、心識刹那を維持することができる。

有分識が滅した後、二番目の有分波動が生起する。

ここにおいて、後生の有分波動(心識)は、前生の眼浄色を支えるが、これを後生縁という。

後生の名法は、前生の色法を支える時、それは後生縁縁力に依る。

一番目の有分識と同時に生起する眼浄色は、後に生起する16個の心識の支援を受けて、それらは、順次、有分波動、有分断、五門転向、眼識、受領、推度(=推定)、確定、7個の速行心と二つの彼所縁へと、続く。

二番目の有分波動から始まって、最後の一個である彼所縁までの、これらの名法は、先に生起した眼浄色を支えるが、この種の関係性を、後生縁と言う。

(後生の心が、前生の色法を支える時、それを後生縁と言う)

(12-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>