Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』12-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

五門心路の内の確定、または、意門心路の内の、意門転向と速行の間には、数々修習縁はない。

というのも、確定または意門転向と速行は、同一の種類の心ではないが故に;

最初の速行から第七番目の速行までには、数々修習縁が存在する;

最後の、第七番目の速行心と彼所縁(+に至る間に)にもまた、数々修習縁は存在しない。

意門心路を例にとると:

意ー速ー速ー速ー速ー速ー速ー速ー彼ー彼

【解説】上記表の、一番目の”意”は、意門転向(無因唯作心)で、次の”速”は、すべて速行心(業を造る心)である。

”彼”は彼所縁(異熟心)である。

意と速は、同じ種類の心ではないため、(+両者の間には)数々修習縁は存在しない。

一番目から七番目までの速行心(速)は、すべて数々修習縁が存在する。

最後、速から彼に至ると、(+両者の間の)心の性質が異なる為、数々修習縁は存在しない。

上述の通り、数々修習縁は、同じ種類の心の間にのみ発生するが、それはすなわち、速行心である。

また、善と善の(+間の)速行心にも、数々修習縁が存在するし、不善と不善の速行心にも、数々修習縁は存在する。

もし、あなたが、善心を何度も重複して続けるならば、善の力は、益々強大になり;

もし、不善心を重複して続けるならば、不善心の力は、益々強大になる。

たとえば、我々が、初めて布施をした時の嬉しさは、我々をして二回目の布施をしたいと思わせしめる。一回目の布施が、二回目の布施の心を強烈にするのである。

また、たとえば、初めてアビダンマを読んだ時、余り理解できないが、二回目で少し分かり、三回目でもう少し分かり、四回目ではっきりと理解する事が出来るようなものである。

これを数々修習縁と言う。

(12-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>