Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』13-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

意業は、三種類あり、それらは:

1、貪婪――貪心所と、他人の財物を得たいと思う欲望が、同時に生起する事。

2、瞋恨ーー瞋心所と、他人が傷つき、苦痛に出会うのを望む欲望が同時に生起する事。

3、邪見ーー業報の説を否定する事。

反対に、貪婪、瞋恨がなく、正見があるのは、意善業である。

凡夫が造る善業は、三個の善心(無貪、無瞋、無痴)と相応しているものの、なお、業と見做される。というのも、無明と愛欲が、いまだ生命流の中に潜在しているが故に。

無明と愛欲が生命流の中に潜在しているならば、造(ナ)した業は、依然として果報を齎す。

まさに一本の樹木においては、根が最も重要であって、根を切って取り除かなければ、ただ枝や幹だけを切っても、樹木は依然として成長する(+のと同じであって)、それは、根本が取り除かれていないが故である。

同様に、長い輪廻の内において、もし、無明と愛欲を取り除かないのであれば、我々が造る所の善業と不善業は、一たび、その因と縁が熟したならば、果報を生じせしめるのである。

(13-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>