<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
■2.意思食(manosañcetanāhāra)
意思食は、我々の身口意に対して、動力を与えて、業を造(ナ)さしめる。
欲界速行の心は、善業または不善業を造るが故に、業を累積せしめる。
そして、業を累積するのは、「思」である。
思は、善心または不善心の中のおいてのみ業を蓄積するが、果報心または唯作心の中において、業を積むことはない。
意思食は、俱生名法を支えるかまたは強化して、それらをして目標に向かって行動を取らしめ、かつ業を造る。
名法は、それぞれに、個別の作用があるが、思は、これらの名法を組織して、その後に、それらを目標に向かわせ、目標に向かって行動を取らしめる。
それは、たとえば、味の所縁が舌根を打つ(=ぶつかる)と、思は、「触」を促すかまたは指導して、(「触」に)ぶつかるという作用を演じせしめ、「受」がすばやく味を体験するように促し、また、味に執着するようにする。
ここにおいて、意思食は、食縁による支えを通して、または、縁生法ーー俱生名法(触、受、愛、精進等)を強化する事を通して、目標に向かって行動を起し、業を累積する。
私は経蔵(+に書かれた)所の方法によって、意思食を解説したいと思う。
経蔵の解釈によると、思とはすなわち、業である。
意思食は、欲界、色界と無色界の、三界における輪廻を支え、強化する。
意思食は三界の輪廻を支えるという事は、何を意味しているのであろうか?
(15-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>