<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
意思食は、我々の身口意に動力を与え、業を造る。
業は、善業と不善業とに分けられる。
不善業は、純粋に欲界に属し、それは身業、語業と意業に、分けることができる。
(1)身業:殺生、偸盗及び邪欲楽行(邪淫)は、通常、身門を通して発生する。
(2)語業:妄語、両舌、悪口及び綺語(無駄話)は、通常、語門を通して発生する。
(3)意業:貪婪、瞋恨及び邪見(因果を認めない)は、通常ただ、意門においてのみ、発生する。
善業はまた、欲界善業、色界善業と無色界善業に分けることができる。
欲界善業は、布施、持戒、尊敬、奉仕、功徳の回向、功徳の随喜、仏法聴聞、仏法の宣揚と己の見解が正直(=真っ直ぐで正しい)である等の、10種類を上げる事ができる。
色界善業は、初禅、二禅、三禅と四禅及び五禅(アビダンマでは五種類の禅定をいい、経蔵では四種類の禅定を言う)を指す。
初禅から五禅までを証悟した人間は、すなわち、色界善業を蓄積したことになる。
無色善業とは、四つの無色界禅の事を言う。
すなわち:空無辺処、識無辺処、無所有処と非想非非想処である。
もし一人の人間が、欲界不善業を造したならば、当該の不善業(意思食)は、食縁によって滋養され、その人間が、悪趣に生まれ変わるのを支える;
もし、彼が欲界善業を造したならば、当該の善業はそれを滋養して、彼をして欲界に生まれるようにする;
もし、彼が造したのが色界善業であれば、当該の善業は、彼が色界(16層の色界天)に生まれ変わるよう支援する;
もし、彼が造したのが無色界善業であれば、当該の善業は、彼をして、無常色界(空無辺処無色界天、識無辺処無色界天、無所有処無色界天、非想処非非想処無色界天)に生まれ変わるよう支える;
もし、一人の禅の修行者が、識無辺処無色禅の禅定の中で往生したならば、この業は、彼をして無色界の識無辺処天に生まれせしめるようにする。
どこに生まれようとも、仏陀は、それは苦なる現象であると言う;
それはちょうど、粘着した糞便が少量であっても、同じく臭いのと同じように、どのような出生もまた、人々を厭わせるものである。
(15-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>