Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』18-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

■2、正思惟

正思惟には以下の三種類がある:

(1)出離思惟

(2)無瞋思惟

(3)無害思惟。

出離思惟ーー我々は、感官の欲楽の禍について、深く考えて、出離思惟を発展させる必要がある以外に、また、一個の”私”が、これらの楽欲を享受しているのだ、という観念を”放棄”する(すなわち、無我)事に、チャレンジしてみる必要もある。

出離思惟は、以下の考えから遠く離れる事を意味する:

私は、大きな家、大きな車、美人の妻、私の名誉と利益、私の高収入、私の社会的地位などなどを手に入れたい、という考え。

これら、”私の所有する所のもの”というこの概念を、しっかりと握りしめて、それらに執着する考え方は、欲楽への渇愛を極度に強化し、人をして渇愛から離れなくさせる。

ジャーナに入る事もまた、出離思惟と見做される。

というのも、心がジャーナに専注する時、感官の欲楽と関連する所の考えは、暫定的に放棄されるが故に。

まさに仏陀が言うように:

「定が展開される時、心もまた展開される;心が展開される時、激情は取り除かれる。」のである。

(18-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)