Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』22-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

22&23 無有縁と離去縁

(Natthipaccayo & Vigatapaccayo)

無有縁と離去縁は、同じ意味である。

それらは性質を同じくする一対であり、名前が異なる所の縁である。

無有縁は、名法が滅尽した後、その他の名法が機会を得て、その後に生起することができるようにする。

それら(名法)が滅し去った後、「ない」という力によって、縁生法を支える為に、それは無有縁と呼ばれる。

色塵が眼根を打つとき、眼門心路過程ーー一系列の条理の整った、認識過程が生じる。

色塵が眼根を打つとき、一個の過去有分が生起して、滅する。

過去有分の滅は、「無有縁」の縁力を通して、二番目の有分波動が機会を得て、それの後に生起する事ができるようにする;

ここにおいて、有分波動は縁生法である(+事が分かる)。

有分波動が滅すると、第三番目の心ーー有分断ーーがそれの後に、機会を得て、その後に生起できるようにする;

有分断が滅すると、もうひとつ別の心ーー五門転向が、機会を得て、その後に生起できるようにする。

五門転向心が滅した後、もう一つ別の心ーー眼識ーーが、それの後に、機会を得て、その後に生起できるようにする;

眼識が滅すると、領受心が生起するが、領受心の生起は、眼識の滅する事または「無有縁」を縁としている。

ここでの領受心は、縁生法である;

以下類推の事。

無有縁と無間縁の性質は同じであって、それはみな、名法が滅尽した後、その他の名法が機会を得て、それの後に生起できるようにするものである。

間に間隔というものがなく、無有縁はただ「不存在」でもって、縁生法を支えるのである。

離去縁は名法の去る事が、その他の名法に機会を与えて、それの後に(+名法が)生起するのを言う。

たとえば、大統領の着任に関して、前の大統領が辞めない限り、次の大統領が着任できない、のと同じである。

同様に、二つの心は、同時に生起する事はない為、一個の心が滅して後初めて、もう一つの心が、生起することができるのである。

(23-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

初心者瞑想指導の許可を得る)