Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』24-1(195/200)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

略説縁起第一支ーー無明縁行

今、我々は発趣論の各種の縁力を用いて、12 因縁を、説明したいと思う。

ここにおいて、我々は、縁起の第一支ーー「無明縁行」、すなわち「無明の縁によりて、行が生起する」という、この過程は、どのような縁力によって生じるのかという事を、簡単に説明したいと思う。

「見縁起者、見仏;見仏者、見縁起」

(縁起を見る者は、仏を見;仏を見る者は、縁起を見る)

縁起(paṭiccasamuppāda)は、仏教においては非常に重要であり、徹底的に、縁起とは何かを理解して初めて、「無我」とは何かを知ることができる。

「無我」の意味は、一切の現象はみな因と縁の和合に依っていて、主宰(+者)はいない、という事である。

一切の現象が、みな因と縁の和合に過ぎない事を理解したならば、「我見(我ありという思い)」は自然に破壊される。

故に、無我を理解したいのであれば、必ず縁起を研究しなければならない。

縁起は、また、12縁起とも言う。

縁起の法とは、基本的には、生死輪廻の因・縁構造を理解する事であり、衆生が生死輪廻の中において、この世からあの世へと転生する、その諸縁を開顕するものである。

ここにおいて、衆生とは、世俗諦であり、方便の説である。

何の縁が、衆生をして、この一世から、あの一世へと、転生させているのか?

(24-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>