<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(三)《基礎発趣論》紹介の範囲
《基礎発趣論》の法義は、非常に精彩豊かなものであるが、(+緬甸語から中国語訳の担当者の都合によって)全編を訳出する事ができない。
故に、《基礎発趣論》の「24縁」の内の、最も重要と思われる、また読者が最も関心を寄せるであろうと思われる、17講の内の、第7,8,9講、すなわち、「業縁と果報縁」の部分を(+緬甸語から中国語に)翻訳して、紹介したいと考える。
1、「業縁」と「果報縁」の定義
「業縁」と「果報縁」の定義をする前に、先に「業」、「果報」と「縁」について説明する。
一般的には、「業」とは、一切の善、悪、無記の身・口・意における、行為と造作を言う。
しかし、仏法上の専門用語として用いられる時、「業」は、思心所、または意志力を指す言葉となる。
あなたが何かの行動をする時、一塊の意志の力が、背後であなたを突き動かしている訳であるが、この、あなたの心理の上に生じた、すなわち、造作された意志力は、「業」と呼ばれる。
(1-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>