Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

一番目の速行心の果報の状態

一番目の速行心は、力が非常に弱い為、その果報は、現前の、この一生においてのみ、現起(現象)する。

もし、果報が、この一生において現起(現象)しないのであれば、それは、無効業となる。

無効業とは、何の果報も齎さない業の事である。

しかし、一番目の速行心は、まったく果報の感得と無関係なものであろうか?

否である。

善なる事をなしたならば、一番目の速行心は、その作用を発揮して、善果を感得する。

たとえば、私は度々、仏法に関する著作をしたためるが、故に、私は、非常に深く三宝を尊重・尊敬している。

なぜであるか?

というのも、このような思心所は、我々を保護してくれて、種々の罪障を取り除いてくれるからである。

これは、一番目の速行心が果報の作用を生じる所の、一つの例である。

貧乏な摩訶度とカカウリヤは、阿羅漢に供養した後、現生(=現世)で、大富豪になった。

これは、清浄なる阿羅漢が、入定した後に托鉢に行った事が原因である。

阿羅漢の心は、比べるもののない程清浄であり、かつ安止していて、また、供養の品も、如法に得たものであるが故に。

このように、一番目の速行心が作用を生じ、布施した者に、現世において、大富豪になる果報を齎したのである。

ただし、このような状況は、めったに発生しない。

もし、一番目の速行心の力が、その果報を現起(現象)させる程の力を有しないとき、それは、過去の造(ナ)した所の業と組んで、果報を現起(現象)させる。

たとえば、小川があって、大雨が降ると、上流の水に雨水が加わり、勢いのある大きな流れに変化するようなものである。

もし、小川の水だけであるならば、ただ静かに流れているだけであるが、雨水が加わる事によって、各種の姿態を持つ波が生起する、という訳である。

過去の業は河の流れのようで、現在の業は雨水のようである。過去の業に、現在の業を重ねると、雨水が河に流れ込むように、一番目の速行心は、果報を生じる事ができるようになる。

そうでない場合、現生の、非常に混乱した所の一番目の速行心の大多数は、果報を産まない無効業になるのである。

(2-11につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>