Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

七番目の速行心果報の状態

最も力の強い七番目の速行心によって生じる果報は、もう一つの一期の生命を生起させるに十分足りる(+力をもっていて、)・・・天人に生まれることも、人に生まれることもできる。

一番目の速行心に、もし、果報が現起(現象)するとしても、現在の生において、多少とも、更に幸福になるだけであり、もう一つ別の、一期の生命を打ち立てることはできない・・・(+すなわち)結生心を、生起させる事はできないのである。

七番目の速行心は、今の生を幸福にするだけでなく、もう一つの、一期の生命の現起(=現象が生起する事)を支える事ができる。

以上は、善業の速行心に関する、説明である。

不善業の速行心もまた、同様である。

一番目の速行心が、もし、大阿羅漢を誹謗するものであれば、それは即刻、果報を生じせしめる。

たとえば、ある時、シャーリプトラが頭を剃ったばかりの時に、難達という名の夜叉が、シャーリプトラのツルツルの頭を何度か叩いた所、難達夜叉は、即刻死亡し、無間地獄に落ちたのである。彼を即刻死亡せしめたのは、一番目の速行心の作用であり、彼を無間地獄に落としたのは、第七番目の速行心の作用である。

こうしたことから、善であっても、不善であったも、第七番目の速行心は、最も力が強く、それはもう一つ別の、一期の生命を現起(現象)させることができる(+事が分かる)。

もし、第七番目の速行心が、「次の生」で果報を生じない場合、第七番目の速行心の業は、無効業となる。

我々には多くの無効業があり、緬甸語で言うならば、<惜しい業>という事になる。

衆生は、多くの業を造(ナ)すが、しかし、すべての業が、「次の生」において、同時に果報を生起せしめる事はない。

多くの業の中において、第七番目の速行心の業のみが、結生の果報を、生じせしめる。

もし、第七番目の速行心の業が無効業になる時、その時には、如何なる果報も生じない。

(2-12につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>