Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

臨死業(=臨終業)

(āsannakaṃママ

臨死業は、臨終の時に造(ナ)される業でる。

たとえば、二人の敵がいて、双方共に瞋恚の心を持って戦い、武器でもって、相手を打ち倒したならば、この行為を臨死業と言う。

もし、他に重業がなければ、次の生の果報は、必ずや、この臨死業の果報となる。

またたとえば、法友が、病人に経を回向したいと思い、法師を呼ぶなどし、または、病人に仏法を説いて聞かせる等したなら、これもまた臨死業である。

ある一つの物語を例にとる。

ある時、仏陀が説法をしていると、一匹の小さなカエルが、仏陀の説法の法音を聞いていた。

もちろんカエルには、内容を理解する事は出来なかったが、心が爽やかになったので、そこに留まってしっかりと聞いていた。

これは善業に属する心である。

この時、牧童がいて、自分の杖を地面に突き刺したが、不注意から、小さなカエルを、生きたまま突き殺してしまった。

このカエルの臨死業は、聞法の善業である為、カエルは、天界に生まれて、天人になったのである。

(2-15につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>