<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
臨死業(=臨終業)
(āsannakaṃママ)
臨死業は、臨終の時に造(ナ)される業でる。
たとえば、二人の敵がいて、双方共に瞋恚の心を持って戦い、武器でもって、相手を打ち倒したならば、この行為を臨死業と言う。
もし、他に重業がなければ、次の生の果報は、必ずや、この臨死業の果報となる。
またたとえば、法友が、病人に経を回向したいと思い、法師を呼ぶなどし、または、病人に仏法を説いて聞かせる等したなら、これもまた臨死業である。
ある一つの物語を例にとる。
ある時、仏陀が説法をしていると、一匹の小さなカエルが、仏陀の説法の法音を聞いていた。
もちろんカエルには、内容を理解する事は出来なかったが、心が爽やかになったので、そこに留まってしっかりと聞いていた。
これは善業に属する心である。
この時、牧童がいて、自分の杖を地面に突き刺したが、不注意から、小さなカエルを、生きたまま突き殺してしまった。
このカエルの臨死業は、聞法の善業である為、カエルは、天界に生まれて、天人になったのである。
(2-15につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>