Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

已作業(kaṭattākaṃママ

その他の業の果報が、現に生じていない時、已作業はようやく、果報を生じせしめる。

上述の三種類の業があるとしたならば、この三種類が優先される。

已作業は、業を造(ナ)すその時には、非常に強い願望というものはなく、それはただ、まったく普通の動作であり、行為であったりする。

それは、多くの生において行ってきた、通常の所作であり、行為であり、非常に重い行為ではない。

重業、臨死業または慣行業がない、という状況の下、已作業はようやく、その果報の作用を、発揮する。

(+あなたは)造(ナ)した善業は、みな、果報を生じると、考えてはならない。

一つの果報の成熟には、非常に多くの因と縁の条件が、整わなければならないが故に。

この点に関して、一つの物語を、語って聞かせたいと思う。

それは、一人の国王の邪見についてである。

この国王には一人娘がいた。

この一人娘は、アーナンダの過去生である。

物語の一部分は、已作業と関係がある為、私は、この物語を已作業、また他の関連する所の業と結び付けて、次の機会に、お話ししたいと思う。

(2-17につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>