<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
Sullāsīti mahākappe sabbe
sujjhanti saṃsaraṃ
Anāgate tamhi kāle saññatopi
na sujjhati
「人々は、八万四千大劫を経ない内は、どのように精進したとしても、何等の役にも立たない。
精進、修行をしたからと言って、解脱に到達することはない。
一切の修行は、空(=空っぽ、無駄)であり、役に立たないものである。」
Caritv āpi bahuṃ bhadraṃ
nevo sujjhanti nāgate
Pāpañcepi bahuṃ katv ātaṃ
khaṇam nātivattare(全体ママ)
「善き人が、どのように努力し、修行しても、八万四千大劫を経なければ、解脱に到達する事はできない;
悪人が幾ら悪くても、同じく(+解脱できる時期は)、八万四千大劫を、越える事はない。
ただ八万四千大劫を過ぎさえすれば、愚者であろうが、智者であろうが、その時がくれば、自然に解脱することができる。」
Anupubbena no suddhi
kappānaṃ sullasītiyā
Niyatim nativattāma
velantamiva sāgaro
「ちょうど海水が、海岸を越える事ができないように、すべての衆生は、八万四千大劫の定命(=宿命)の境界線を越えることは、できない。
八万四千大劫を経過すれば、定命は、愚者であっても、智者であっても、自然に解脱することができる。」
(2-22につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>