Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-22

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

アラータ(Alāta)将軍の物語

国王は、ウクナの説法に対して、心を集中して、熱心に考えた。

この時、国王と一緒に随行して来たアラータ将軍が、(+ウクナの説法を)ここまで聞くと、以下のように言った:

「大師のおっしゃる通りです。

大自然の定律は、変えることのできないものです。それは正しい。衆生の生命は、自然の定律に沿って展開するのであって、善業または悪業の影響を受けない。

私は、私の前世を覚えているが(宿命智の事、ただし、彼はただ一生だけ見る事ができた)、名をビンカラと言い、牛を殺すのが仕事であった。あの時、私は牛を殺すだけでなく、他にも多くの動物を殺した。

私は死後、将軍府に生まれ、今、将軍職についている。

私が前世において牛を殺した業は、果報を齎さない。

もし、ある種の人々が言うように、因果業報というものがあるならば、牛を殺すのを職業にしていた男が、なぜ、将軍になるという果報を得る事ができたのか?

なぜ、地獄に落ちて苦しみを、受けなかったのか?

みなさん、私は地獄になぞ落ちていない!

その上、私の家族は皆、将軍になっている。」

将軍のこれらの言葉は、因果業報を否定していることになる。

先に、彼がなぜ将軍になり得たのか、という事を解説する。

それは、彼の多くの生の、その以前、迦葉仏の時代、彼は阿那洒花の花飾りでもって、仏塔を供養したことがあった。

その時仏塔を供養した善業(已作業)は、即刻果報を生じせしめることはなかった。

それはちょうど、灰に埋められた燃える炭のようであった。

彼が前世に輪廻した時、すなわち、牛を殺すのが職業であった時、殺業を造(ナ)したけれども、彼が臨終の時に、仏塔を供養した善業の因と縁が熟して、果報を生じせしめた。

仏塔を供養したという善因の故に、彼は、高貴な将軍の種族に生まれたのである。

過去生の善業は覆いかぶされ、牛殺しの一世において、因と縁がようやく熟した。

その後、牛殺しの不善業は、また覆いかぶされたが、未来において、この不善業の果報は、必ずや熟すであろう。

このアラータは、デイバダッタの過去生であり、前世の牛殺しの男が、今生では、将軍になったのである。

国王は、業果の原則を理解しないが為に、裸体外道ウクナの論点を、更に強固に肯定してしまったのである。

(2-23につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>