昨日、図書館に寄ってみましたら、前に私が予約しておいた本が4冊、届いていました。
そのうちの一冊は、稲垣えみ子の『寂しい生活』。
2011年の東日本大震災で、福島原発がメルトダウンをした事を切っ掛けに、極力電気を使わない生活に突入。
洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫まで捨ててしまった、笑いあり涙ありの、50歳中年女性のお話。
私たちは実は、<あってもなくてもよい物ばかりに囲まれて生活しているのではないか?>という疑念、私の胸にも時々湧き上がりますが(その割にはモノ、結構持っています、スミマセン)、彼女の、冷蔵庫の功罪に関する論考は圧巻でありました。
彼女は、冷蔵庫があれば、あれも買って、これも買って、明日食べよう、明後日食べようと、(偽の)夢と欲が、際限もなく広がるのだ、と言う。
私たちは、食べきれないのを承知で食料品を買い続け、冷蔵庫に押し込み・・・買っては腐らせ、腐らせては捨て・・・私たちが物を買うのは、ストレス解消のためであり、かつ、ストレスの真の原因から目を逸らす為でもある。
新聞記者、論説委員だっただけあって、筆力あり、説得力あります。
私たちは毎日、他人のまなざし、他人の欲望を生きている・・・特に資本主義の世の中においては。
我々に、本当にしたい事、しなければならないことなど、それほどは、ない。
私は目下、「自分がどこから来てどこへ行くのか(心の縁起と、色聚の無常・苦・無我)」を知る事ができれば、それが一番の幸せだ、と思っている。
その為に、朝夕瞑想する。
人生、それで十分。
追補:彼女は、電気温水器の使用もストップしましたが、実は私も、二か月ほど前、夜間電気の契約解除しました。<人生は快適でなければならない>というのも、一種の強迫概念、じゅ縛ではないかしらん。