Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

般若の独り言~仏陀の無記

輪廻(段生輪廻)は、あるのか、ないのか?

これは永遠の<水かけ論>だと思います。

過去世を思い出せる人(誤認も含む)は、「ある」と言い、思い出せない人は「ない」という。

「ない」事の証明は<悪魔の証明>で、決して証明する事はできないし、「ある」もまた、変性意識における個人的体験なので、他人に証明してみせることはできない。

故に、言葉の上の言い合い、戯論になるので、いくら討論しても、無意味なのです。

輪廻に関する質問、仏陀は無記で対応しました。

無記とは何か?

日本では、仏陀の無記は、「ない」と同等であると考えている人が多いのですが、仏陀の無記には、以下の意味も含まれます。

1)質問自体が妥当でない時、答えない、無記。

2)質問者の態度が無礼である時、答えない。

3)際限のない質問には、無記。

4)心の成長に役に立たない質問には、無記。

5)質問した時間、時期が適切でない時、無記。

 

私が35年前、初めてタイの僧院に行った時、真っ先に質問したのが「輪廻はありますか?」でしたが、その答えは「修行したら分かる事を他人に聞くな」でした

(これが<無記>です)。

人生の疑問は、自分の胸で温めるのが一番。

抱いた卵は、いつの日か必ず、雛になります。

追補:タイのアーチャン・チャー(遷化)も、ブッダダーサ尊者(同)も、「来世より<今・ここ>が大事」と言いました。

これは、来世の否定ではなく、来世は今の延長線上にあるのだから、今を大事に生きない者は、来世もよくならないという意味。一瞬一瞬の刹那輪廻の先に、段生輪廻がある、という事です。 

   <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>